2007-12-31 Mon
皆様、こんにちは。あと90分ほどでで2007年も終わりを告げようとしています。
皆様は今年はどんな年でしたか?
今、やっと年越しそばのふるまいが終わりました。ウチのおそばは鰹とこぶのおだしが効いててとっても美味しいですよ~。ご夕食でお腹いっぱいでも8割のお客様が食べにいらっしゃいました。
さあ、これから今年最後の、わたくしの仕事。明日ご朝食にお出しするお祝いのお箸にご宿泊者皆様のお名前を書くこと。
他のお宿さんでも同じ事をされているのか全く知りませんが、当館では昔からずっと伝統的に続いていて、お客様にも大変喜ばれています。
毎年思うことですが、大切な新しい年の始まりをわざわざ当館でお迎えいただき、初めてのお食事を召し上がっていただく、よくよく考えればとんでもなくありがたいことです。
明くる一年も素晴らしい年になられますよう、心を込めて書かせていただきました。
明日の朝は、私と知佐ねえさんが着物を着てお部屋を回らせていただき、「あけましておめでとうございます」のご挨拶とともに、お屠蘇を召し上がっていただくのが恒例となっております。
新たな幕開けにお客様のお顔がとても穏やかで美しいのがいつも印象的です。お客様の笑顔に元気をもらい、今年一年も「よ~し!頑張るぞ~!!」と心から誓うことができます。
大阪屋ひいなの湯で迎える元旦。一年で一番、当館を存分にお楽しみいただける日でもあります。毎年3分の1は常連さんですが、皆様、今から常連さんのお仲間になられませんか?絶対ご満足いただけるよう、心からのおもてなしをお約束いたします。
何はともあれ、今年一年様々なところでいろいろな方に助けられ何事もなく過ごすことができました。
たくさんのお客様にお越しいただき、本当にいい一年でした。皆々様に心よりお礼を申し上げます。ありがとうございました!!
2007-12-29 Sat
皆様、こんにちは。2007年も残すところあと2日・・・時は無情にもものすごいスピードで過ぎ去っていきます・・・。
昨日は年末の大掃除で一日休館をいただきました。毎年のことですが、いまごろ慌てて年賀状を書いている情けない私。どうして学習能力ゼロなのでしょうか・・・。
それから、お母さんのお餅の用意を手伝いました。用意するもち米、8升!スゴイ量です。丸めるだけでわりと体力を使います。
が、ここは昔取った杵柄(まさに杵柄!ですね)。
小さい頃、当時田舎といえども珍しかった本物の臼と杵を使った餅つきが我が家の年越しの一大イベントでした。父と母がぺったんぺったん息を合わせてついたできたての熱い柔らかいお餅を、兄弟4人が並んで丸めるのがとても楽しい作業でした。今から思えば、父と母は子供たちのために毎年手作りの餅つきにこだわってくれたのでしょう。旅行なんて連れて行ってもらった記憶などないけれど、楽しい思い出はいっぱい残してくれました。
だから、私は自分で言うのもなんですが、お餅を丸める天才と自負しております。笑
お正月にはお雑煮として朝ご用意致します。心を込めて丸めたのできっと美味しいはずですよ~!
年間に何度かある繁忙期とは違い、年末年始のこのときだけは特別な準備に奔走致します。
先ず、お正月の特別期間に用意する特別料理のための仕入れ。おもに発注は知佐ねえさんの担当です。
お正月は漁師さんの船がすべてお休みになってしまうため、前もっての仕入れが必要となります。
こんなときは当館自慢の巨大いけすの威力を存分に発揮。ずっと生きたままお魚さんたちを保っておけるので、お客様に新鮮な食材をご提供できるのです。
あと、門松、しめ縄などの用意から始まり、年越しそば、お祝い用の干菓子、祝ラベルのビールの入れ替え、お祝い箸、お祝い用テーブルマット、生け花等々数えあがればきりがありません。し忘れていないことがないか毎年結構気を揉む作業です。私はのほほ~んとしていますが、知佐さんは鬼のような形相で、仕入れの表とにらめっこ。くわばらくわばら・・・(゚.゚)
で、なんとか今年も無事、年を越せそうです。ありがたいことです。
2007-12-23 Sun
皆様、こんにちは。つい先日、私の一番下の弟夫婦に初めての赤ちゃんが産まれました。私にとってはとても可愛い姪っ子です。
新しい命の誕生は小さくとも大きな存在感で、無条件に周りの人間をも幸せな気分にしてくれます。
晴れて父親と母親になった若い夫婦にエールを送りたいと思います。頑張ってネ!
生まれてくる命もあれば、なんの罪もない人々が命を落す無情な事件が毎日のようにテレビや紙面を賑わしています。
つい最近では佐世保で友達や無関係の人間を巻き添えに自殺した残酷な事件がありました。
加害者は社会生活に馴染むことができない、いわゆる「ニート」と呼ばれるヒトでした。
どうしてこのような悲しい事件が途切れることがないのでしょうか?
「生きること」は誰しもみな、決して楽なことではないということ。
辛くても泣いてばかりでも、それでも毎日は平等に繰り返しやってくる。自分だけが不公平なわけではない。
それを知っていれば、もっともっと楽に生きていけたのではと思います。
私は3人の子供の親ですが親として一番重要な役目とは、塾に入れて勉強ばかりさせていい学校に入れることでもなく、いいお洋服を着せごちそうを食べさせるためでもなく、「社会生活にいかに順応できる人間に育て上げるか」だと思います。それが親としての成績表です。
一部上場会社の部長さんでも家庭を顧みない父親より、寒い中でも暑い中でも一生懸命外で仕事をして子煩悩なお父さんの方がずっとずっとエライ。
お勉強ができたからって人とのコミュニケーションがとれない人より、他人のことでも涙できる頭の悪い人間の方がずっと人間としての輝きがある。そう思います。
私の人生は働くようにと決まっているのでしょうが、嫁いできて10年、ようやくこの仕事の面白みが判るようになりました。他館の女将さんがおっしゃるように、やはり10年もかかりました。あくまで目安としての数字で、女将業にかかわらずちょうどその時期にある程度の人生経験を経て、人間としてもようやく半人前になってくるということでしょう。
振り返れば本当に立ち止まることなく仕事ばかりの毎日でした。休んだのは3人の子の産前産後1ヶ月ずつと、年に1・2回里帰りするときぐらいでしょうか。
旅館に戻ってきた主人も最初の頃は、和歌山での地盤を固めるため、JCや旅館関係など外とのお付きあいがとても忙しく、週のうち3回自宅にいればいいほうでした。もちろん帰ってくるのはいつも夜中でしたから子供の世話はすべて私がしました。
その頃は車で10分くらいのところにマンションを借りて生活していましたので、毎日首もまだ座らない赤ん坊を車に乗せて通勤するわけです。小さなお子様をお持ちのお母さんならたったそれだけのことにしても、その大変さはおわかり頂けると思います。
雨なんか降ろうものなら、子供たちが濡れて風邪をひかないようにと必死で、その滑稽さに我ながら涙が出ました。
でも、そんな苦労より一番辛かったのは、忙しい日が続くと仕事を終え旅館から帰るのが夜10時や11時になってしまい、上の子供たちを旅館に置いて帰らなければならないことでした。
つかの間の時間でも翌日まで離れ離れ、傍にいて寝顔を見られない辛さ、寝息を聞けない悲しさは今思い出しても身を引き裂かれるほどです。体より心の苦労の方がよっぽど上でした。
それでも、辛くても逃げてはいけない。働くことで大きな社会の小さな小さなネジのひとつとして何らかの役割を果たさなければいけないし、それに人生の約3分の1は仕事してる計算だもの、楽しまなきゃ損。そんな思いが毎日仕事へとむかわせてくれました。
私の父親も仕事人間でしたから、そんな背中を見ながら育ったおかげでしょう。
私自身も子供たちには同じようにしか、教えてやることができませんが、それはそれでいいのかなと思います。
きっと子供たちは私の働く姿を見ながら、今は解らなくとも何かを感じ、成長したときにきっと形として意味のあるものに気づいてくれることと信じています。
そのためにはお母さんは楽しいんだよ、人生は奥深く面白いもんだよといつも笑顔でいなきゃと思います。
そして、子供たちには「若いときの苦労は買ってでもしなさい」そう教えるつもりです。
TOP PAGE △