2012-11-13 Tue
皆さま、こんばんは。今日は次男の小学校で毎年行われる「加太っ子まつり」がありました。
まあ文化祭のようなものですね。
この日に備えて子供たちは多くの時間を練習に費やし、見事観衆に感動の波を届けてくれました。一生懸命な姿というのは本当にいいものです。無条件に心を打たれます。団結して努力することに感動を持ち続ける大人になって欲しいと願います。
石原都知事が先ほどテレビで「古き良き強い日本を再建しないとこのままではダメになる」と仰っているのを聞き思うことがありました。
モノがない時代は心はもっと豊かでした。誰もが一生懸命に生きていました。何の不自由もない世の中で生きている子供たち。豊か過ぎることは毒でしかないのでは?と思うほどです。
私の両親は必要なものは惜しみなく買い与えてくれましたが、ゲームやおもちゃなど不必要なものはホイホイと買ってはくれませんでした。だからどうしたかというと欲しいものは工夫して作りました。ダンボール、空き箱、布切れ、木の切れ端など見回せば材料はいくらでもありました。それに友だちと家の中で遊ぶこと自体少なかった。鬼ごっこをしたりかくれんぼをしたり暗くなるまで外で遊びまわりました。
そのように育てられた私の弟や妹は未だに姪っ子甥っ子にゲームを買い与えていません。最初は不満を口にしていた子供たちもゲームのない生活が当たり前になり、みな読書が大好きでいろんな本を読破し、外で遊ぶので運動神経がとても良い、などいいこと尽くめです。
私の両親は学歴があるわけではありません。それでもとても賢い両親だったと思います。いつも家を守る母はまさに良妻賢母でした。一家の中心にはいつも父がいました。
母は出しゃばらず、いつも父を立て「お父さんに感謝しなさい」が口ぐせでした。
そのかたちがベストというわけでは決してありませんが、最近の家庭の求心力がなくなってきているのはまず母が父を敬わない状況下に問題があるように思います。
日本の政治家の現状も同様。日本の豊かさにかまけて、ぬるま湯でぷかぷか浮いているのですね、きっと。
変わらなければならないものと、変えてはいけないもの、世の中にはどちらもある。
豊かさは心の生温さを生み、やがて必ず腐敗を促すのではないでしょうか。
もっと個々の家庭単位でも厳しさが必要なのでは?子供たちの明るい未来を思うとき、ふとそんなことを考えました。
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