2013-02-01 Fri
皆さま、こんばんは。何に対しても言えることですが、どれが正解で間違いかなんて何処を探しても答えは見つからないもの。極端ですが、答えは命の終わりが来るまでわからない、とも思います。(もちろん法律やルールやマナーとは違うところでね。)
そこで最近思ったことがあります。
最近、テレビドラマにしてもバラエティ番組にしても、夫婦間のいざこざをテーマにしたものが多いったら・・。これまた、何が幸せで何が間違いでなんて、ホント心一つの持ちようです。
この前、幼馴染み(男性)と電話で話すことがありました。
雑談の途中、彼が不意に奥さまの悪口を言い始めたのです。
「あいつは口を開けば文句ばかりで学ぶこともしないし、否定的だし、世の中に対して無気力だし、そのうえ自分とは違う立場を理解しようともしないし・・・」云々かんぬん・・・。
正直、イヤだな、と思いました。
女性(友だち)としてより、妻としての目線でこの会話を受け止めている自分がいました。
「もし、主人が同じようなことを外で言っていたらどうだろう」と。
思うに夫婦って本当に鏡。一緒にいる年月に比例し、自分自身を顧みることの出来る、よく映る鏡になります。
彼の発した言葉の数々は、奥さまも悪いのだろうけど彼自身の落ち度を彼女がくまなく吸い上げているような気がしました。そう、鏡のように。
そういう彼こそが、口を開けば文句ばかりで学ぶこともしないし、否定的だし、世の中に対して無気力だし、そのうえ自分とは違う立場を理解しようともしないのでは?
何故ならお互いが良くなろうと努力することもなく、最初から諦めて働きかけもせず見下しているのは彼自身。
おそらく、夫婦間だけではなく周りの人間に対するスタンスも同じなんだろうな。自分には合わない人とは最初から交わることもない。双方が働きかけないと平行線が交わることなどないのにね。
けんかもするけど、言いたいことを言い合える関係はお互い向上心があってのこと。相手を諦めていない前向きさの証拠です。
ワタクシたちはどうだろう?
どちらかというと仕事で繋がっているワタクシたち夫婦、だから良いのか悪いのか話題に困ることはないなぁ。時間があればいつまでも話し、議論します。その都度、教えられることもたくさん。
性格は黒と白くらい違うけど、尊敬できる部分がたくさんあります。
お互いを思う気持ちを持続しないと夫婦間のみならず、人間関係なんて上手く築いていけるはずはないですよね。
とエラそうなこと言ってますが、最期はいい夫婦で終われるのでしょうか(笑)
正解か間違いかなんて何処を探しても答えは見つからないものだけど、あちらがワタシで良かったと思ってくれるより先に、ワタシの方がお父さんで良かったな~って思えるように努力だけはしていきたいな、と。
そう、人生なんでも努力です(笑)
2013-01-25 Fri
皆さま、こんばんは。ブログの更新を誓ったのに、ああそれなのに、全然更新できずスミマセン!
これまでまったく外の情報を知る時間すらなかった井の中の蛙なワタクシも、数年前から本物に触れようと思い立ち、折を見つけてはいろんな所に足を運ぶようになりました。
オーケストラのコンサート、歌舞伎、演劇、美術館、レストラン、宿泊施設、たまには漫才(笑)・・・。
人間繰り返しの生活を送るとどうしても怠惰な精神に支配される日があるものです。
本物の世界に触れ、作者や演者の息づかいを感じ、その努力に思いを寄せることは、怠惰な現状を打破するための良く効くプロテインになります。
カリスマ社長さまのお宿
本物は素晴らしい。
並大抵ではない努力の上に結実した証、惜しみなく披露される努力の結集に、否応にも魅了され、感動し、新たな元気をいただきます。ポテンシャル高く次へ次へと成長されるのは、いったいどういう精神力なのか?教えを請いたいと切実に思います。
宿もずっとそうでなければ。
来月もある演劇のチケットをゲットしてしまいました・・・。
うふふ、楽しみ。
新たな刺激に突き動かされることを期待して。
ワタクシはワタクシの存在意義を貫ければいいな。出来るかなぁ。
オモロイ人生やったなぁ、と笑顔で振り返れるように。
2012-11-13 Tue
皆さま、こんばんは。今日は次男の小学校で毎年行われる「加太っ子まつり」がありました。
まあ文化祭のようなものですね。
この日に備えて子供たちは多くの時間を練習に費やし、見事観衆に感動の波を届けてくれました。一生懸命な姿というのは本当にいいものです。無条件に心を打たれます。団結して努力することに感動を持ち続ける大人になって欲しいと願います。
石原都知事が先ほどテレビで「古き良き強い日本を再建しないとこのままではダメになる」と仰っているのを聞き思うことがありました。
モノがない時代は心はもっと豊かでした。誰もが一生懸命に生きていました。何の不自由もない世の中で生きている子供たち。豊か過ぎることは毒でしかないのでは?と思うほどです。
私の両親は必要なものは惜しみなく買い与えてくれましたが、ゲームやおもちゃなど不必要なものはホイホイと買ってはくれませんでした。だからどうしたかというと欲しいものは工夫して作りました。ダンボール、空き箱、布切れ、木の切れ端など見回せば材料はいくらでもありました。それに友だちと家の中で遊ぶこと自体少なかった。鬼ごっこをしたりかくれんぼをしたり暗くなるまで外で遊びまわりました。
そのように育てられた私の弟や妹は未だに姪っ子甥っ子にゲームを買い与えていません。最初は不満を口にしていた子供たちもゲームのない生活が当たり前になり、みな読書が大好きでいろんな本を読破し、外で遊ぶので運動神経がとても良い、などいいこと尽くめです。
私の両親は学歴があるわけではありません。それでもとても賢い両親だったと思います。いつも家を守る母はまさに良妻賢母でした。一家の中心にはいつも父がいました。
母は出しゃばらず、いつも父を立て「お父さんに感謝しなさい」が口ぐせでした。
そのかたちがベストというわけでは決してありませんが、最近の家庭の求心力がなくなってきているのはまず母が父を敬わない状況下に問題があるように思います。
日本の政治家の現状も同様。日本の豊かさにかまけて、ぬるま湯でぷかぷか浮いているのですね、きっと。
変わらなければならないものと、変えてはいけないもの、世の中にはどちらもある。
豊かさは心の生温さを生み、やがて必ず腐敗を促すのではないでしょうか。
もっと個々の家庭単位でも厳しさが必要なのでは?子供たちの明るい未来を思うとき、ふとそんなことを考えました。
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