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13回めの懺悔
皆様、こんにちは。

言い訳ですが、毎日本当にいろいろと忙しくてブログの更新ができないんですう・・・ってかわいくないか。
ですが、今日のような土日などは平日よりスタッフが多く、逆にゆとりある時間を持つことができるのです。


今月17日、あの阪神淡路大震災から13年が経ったとのこと。
もう13年、でも被害に遭われた方ご家族を亡くされた方にとってはつい昨日のことのようでしょう。

つまらないことでしょうが、私にもどうしても拭い消せない後悔の思いがあります。

その当時まだ20代半ばの私は、京都で一人暮らしをして大阪の支店にJRを使い通勤をしておりました。
京都でも震度4~5はあったでしょう。突き上げるような強烈な揺れにびっくりして飛び起きました。
余震の不気味さにそのまま眠ることも出来ず、少しでも情報を得るためテレビを見ていました。しかし、神戸のあの惨状を知ったのは随分時間が経ってからだったように記憶しております。

災害時はすぐ交通機関に影響が出ます。
まず私の通勤の手段であるJRがすべて止まっているのをテレビで知りました。私鉄の京阪電鉄や近鉄などはどうだったか覚えておりませんが、おそらく直後からストップしていたと思います。
とにかく、JRが止まっている、足がなければ仕事に行けない、行けるはずがない。その他の前向きな考えなど微塵も浮かびませんでした。それに、こんな緊急非常事態に駅に向かってもどうせ人で溢れかえっているだろうし、何かあったらかえって危険だし、それよりもそんな苦労するのは面倒くさい、というのが正直なところでした。

結局その日は家でずっとテレビを見ながら待機しておりました。会社に2、3度電話をしても話中だったためすぐにあきらめ、それ以降はほったらかしでした。
次第に神戸のあまりに無残な状況がわかるにつれ、テレビ画面から目を離すことが出来ず、そして「やっぱり家にいて正解だった。行かなくて良かった」と安堵して何も疑うことのない自分がいました。

結局、JRは終日運休していたのでしょうか、定かではありませんが、午後からは私鉄などは徐々に運転し出したようです。
次の日、会社には平常通りに通勤できました。
会社に行って同僚と昨日起こった非現実的な現実を興奮気味に話し、自分が会社に向かわなかったことを“とても正しい判断をした”、とどちらかといえば自慢気に話しました。

その瞬間、傍で何気なく聞いていた上司がひとこと言った言葉、
「それがダメなんや、わからへんか」。
言われた直後は意味があまりわかりませんでしたが、後になってようやく理解できたとき、本当に精神的に未熟な自分に恥ずかしさのあまり消え入りたい気持ちになりました。

たとえ地震になっても社会は日常と同じように回っています。いえ、緊急事態には普段以上に人の手と協力が必要となります。私はそのことを全く判っておりませんでした。
現に交通機関が止まっている、そんな大変な中でも人ごみの中を何時間も掛けて辿り着いた社員が何人かいたのです。朝に家を出て、ようやく会社に辿り着いたのは夕方だったとのこと。

それに比べて自分はどうでしょう。どうしてあのとき無理をしてでも行かなかったのか?
責任感のない怠慢な自分を心底恥ずかしく思い、自分のいい加減さが情けなくなりました。

この時期、地震のニュースが流れるたび、後悔の念に苛まれます。
いまさら、でしょうが、同じ間違いを2度とすまい、その後悔の気持ちを忘れないようにすることにこれからの意味があると思っております。



| hiina | 23:57 | comments (x) | trackback (x) | 徒然なる思い |
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