2008-01-30 Wed
皆様、こんにちは。今日は春のお献立の料理撮影を致しました。
毎回、次はどのような料理内容を組み立てようか頭を悩ませます。
当館は料理長だけでなく専務やわたくし、知佐ねーさんも加わり一緒になって考えます。
料理の内容如何でお客様からの評価はすぐに宿全体の評価としてシビアに反映されるため、妥協してはならないとても大切な話し合いを何度も行います。
そして今回も試作を何度も重ねてやっと決まりました。
屋号の「ひいなの湯」にとっては春というのは一番当館の持つイメージを表現できる時期。なぜなら、当館のロゴにもなっている桃の節句がある時期だからです。
で、今回出来上がったのはこの料理。初お披露目!!
最近は、食べ物に対してもエコブームなのでしょう、ひと昔前のような“食べきれないほどのお料理”を出すと逆に叱られる世の中になってまいりました。
私自身ももったいないのが大嫌いなので、いつでも出されたものは綺麗にいただきたいと思います。
だからというのではないですが、“食べきれない分量”のお料理を出すことはただ単に宿側の自己満足なのでは?と思っています。 料理人にしても宿の経営者にしても食に携わるものは、食材に対して慈しみと感謝の心を忘れず、何でも最後まで使いきり更にはお客様に完食していただく事が務めなのかなと思います。
考えても見てください。普段の夕食はせいぜい一汁二菜くらいでお腹一杯になるのに、旅館においては次から次へと10品ほどのお料理が並ぶのです。一日だけの贅沢だからいいものの、こんな食事を毎日続けていたら確実に病気になります。
かといって品数を減らすと貧相になる、お客様の評判も落ちる、となると分量で調整するしかありません。
当館では、食べきれないほどのお料理は出さず、最後のご飯物を食べていただいてもうお腹一杯で入りません、というのがいいのではという考えです。それでも多いと叱られます。
そして、お食事時にご用意する「お献立表」について。
皆様ご存知でしょうか、一流と言われる老舗の割烹料理屋さんは「お献立表」など決して用意されないのですよ。なぜなら不粋だからです。そういうところには当たり前に一流の辣腕の仲居さんがいて、事細かに料理説明するのが当たり前だからです。その場で交わされる「会話」こそが重要なのです。
お献立表どころか、日本の高級料亭には値段の表示すらしていないところも少なくありません。
見えないものにお金を払うこと=おもてなしの価値、この図式があるのです。
最近はどこの旅館さんでもお献立表を用意なさるところが多くなりました。
私どもでもお客様のご要望にお応えすべく、なるべくお付けするようにしております。
本当に目指すところは、お献立表などなくても手取り足取り空気を読める仲居さんの育成。
これは料理内容とともにこれからの永遠の課題です。
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